年表
- 1912年 明治45年(大正元年)
- アメリカ行きの東洋汽船の地洋丸(グリーン船長)に乗り込んだ、波多野福太郎、奥山貞吉、田中平三郎、斉藤佐和、高桑慶照、いずれも東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)の卒業生五人の青年たちにはじまる。 東洋汽船の「船の楽隊」のメンバーは三越少年音楽隊、東洋音楽学校の卒業生。1914年 大正3年 宝塚少女歌劇団、宝塚新温泉で初演。
- 1917年 大正6年
- 世界初のジャズのレコード。オリジナルディキシーランドジャズバンドが録音。
- 1920年 大正9年
- 鶴見の花月園に日本最初の常設のダンスホール開設。日本初のダンスバンドが結成される 宍倉脩(ピアノ)を楽長に、阿部万次郎(サックス)、原田録一(トランペット)、仁木他喜雄(ドラムス)・井田一郎(ヴァイオリン)で編成された ハタノ・オーケストラ 波多野福太郎
- 1923年 大正12年4月
- 日本で初めてのプロのジャズバンドが神戸で結成。(「井田一郎とラッフィング・スターズ」)
宝塚少女歌劇団オーケストラ出身の井田一郎をリーダーとする「ラッフィング・スター・ジャズバンド」
ディキシースタイルで、オリエンタルホテルや山の上の東亜ホテルのダンスバンドとして出演し人気を博した。 - 1923年 大正12年8月
- 道頓堀に松竹座が開場していた松竹座オーケストラに井田は加入した。
- 1923年 大正12年9月
- 関東大震災
- 1925年 大正14年末
- 「パウリスタ]に強力なメンバーを集めてジャズバンドを編成して出演。大阪最大のユニオン・ダンスホールに入って、本格的ジャズバンド「チェリーランド・ダンス・オーケストラ」を結成した。
- 1926年 大正15年
- 大正天皇崩御を理由に大阪市がダンスホールの営業を1年間停止。 服部良一、井田一郎など多くのジャズマンが東京に移動。
- 1929年
- 世界大恐慌
- 1934年
- 「南里文雄とホット・ペッパーズ」を結成。ディック・ミネのダイナ吹込みに参加 【神戸の当時のジャズスポット】 【大阪南の難波新地のジャズスポット、バンド】 オリエンタルホテル コテージ・ダンスホール 東亜ホテル 戎橋・北詰のカフェー「パウリスタ」 神戸トロッター倶楽部 「ユニオン」、「パリジャン」 大阪・三越少年音楽隊、大阪・高島屋少年音楽隊、うなぎの出雲屋少年音楽隊(服部良一も所属) 少女音楽団を組織した河合サキソフォンバンド 井田一郎とラッフィング・スターズ 服部良一、淡谷のり子 【当時の演奏曲】 南里文雄 My Blues Heaven アラビヤの唄
- 1985年
- モダンタイムスビッグバンド結成